ダダ母出張興行録 わが家の光くん−ダダ家のお話− 
 2002年9月7,8日、早稲田大学で行われた 「自閉症カンファレンスNIPPON」の一日目の「戸部けいこの世界、親の視点」と題された第5分科会で、パネリストをさせて頂きました。

 『光とともに…』の著者・戸部けいこ先生と REIKOさん はじめ、明るく元気なお母さん方に囲まれて、とても和やかなムードの中、ダダの生活の一部をご紹介しました。




 「わが家の光くん」…その名を、ダダと言います。またの名を「レイルマン」。
 
レイルマンの表紙
『レイルマン』\1500
(送料:着払いの宅急便、
本代:〒振り込み)

 ダダは、1992年、風薫る5月に生まれました。・・・どこかで、あった文章。そう『光とともに…』(1) のあとがきです。
 『光とともに…』(1) のあとがきを頼まれたとき、ホント私でいいの?…と驚きましたが、その大役にたいへん感謝し、素直にこれまでのダダの生い立ちを書かせていただきました。そして、そのご縁で、戸部けいこ先生に表紙をお願いし、3月に『レイルマン−自閉症文化への道しるべ−』という、それまでホームページ「ダダ父通信」にUPしていたダダの物語をまとめた本を、出版することができました。
 
 「レイルマン」…ダダは、電車が大好きな特殊学級に在籍する4年生の男の子です。
 『レイルマン』は最初、お世話になった先生方へそして地域の人たちに読んでいただきたくて、出版しました。
 ある日、初版本を読んでくれた紙芝居のボランティアサークルで一緒に活動している仲間が、こんな感想をメールで送ってくれました。
 
 
 そうです。その子育てサークルに通っていた頃は、私はダダ母ではなかった。そして、ダダもまだダダではなかったのです。 訳のわからない行動に困り果て、しつけが一向に進まないことに苛立ち、他のお子さんとの違いに悩んで…そんなしんどさを、どうすればいいのかわからない、毎日が混沌とした時期でした。
 では、私は、いつダダ母になったのでしょう。それは、ダダが「自閉症」とわかったときから。子どもの何を見つめればいいのかがわかったときからです。「自閉症」という診断…それは、私にとって、ダダの世界に近づく第一歩でした。そして、ダダがダダとなって、私がダダ母になったからこそ、彼女が最後に書いてくれた言葉に至るのです。

 
 他の子どもと違うのは、ダダが「自閉症」だったからなンだ…。じゃあ「自閉症って何?どんなハンディがあるの?」 私とダダ父さんの始まりはそこからでした。だからこそ、悩んで戻るところも、いつもそこなのです。
 
 私たちは、田舎の小さな村に住んでいて、毎日通える療育施設も近くにありませんでしたので、紹介された隣町の「ことばの教室」に月に二回通っていました。
 そこで、現在、地元の自閉症の研究会(通称TAS研)を一緒にしているSTの先生・足立幸代さんに出会いました。彼女は言いました。「どうやら、見せた方がいいらしいンです」
 今では一般に広がっている「視覚優位」という特性も、7年前の私の周りでは、そんなぼんやりとしたものだったのです。
 記号への興味、規則正しく並べること、同じ道を行きたがること、いつもと違っていたらパニックになること…ダダの行動の多くが、その特性から見ると理解できます。
 「それじゃあ、見えるものを使っていきましょう」
 そのことに、早期に気づかせてもらったことは、とてもしあわせなことでした。この出会いがなければ、もっと長い間、ダダをわからない環境におき、混乱させていたことでしょう。
 
 「視覚的に伝える」…ダダの興味を引く絵カードのような形にして次の行動や、スケジュールをはじめました。そして、何かを教えるときも、しつけるときも、口頭で言うだけでなく、見える形にして、絵や文字、写真も使いました。すると、「ちゃんと」「きちんと」「さっさと」「もう」など、絵に描けない言葉が出てきます。それでも、それを表すために「具体的に伝える」ように工夫しました。「具体的に伝える」は、とりもなおさず、すべて「肯定的に伝える」ことに繋がっていきました。今、親の会などでお話をさせていただく「視覚的」「具体的」「肯定的」援助の内容は、この小さな時からの取り組みをベースにしています。
 
 「自閉症って何?どんなハンディがあるの?」
 そこから、見えてきたのは、その特性からダダの「生活のしにくさ」があるということ。それで、それを補う支援の仕方を見つけていこうと考えてきました。
 具体的な例を一つだけご紹介します。それは「ライトタイマー」です。
ライトタイマーの写真
「ライトタイマー」\5000
(制作者より権利を委託され、
制作・販売をしております)
問い合わせ先【OMEMEDO】
YIU31284@nifty.ne.jp ダダ母
 自閉症のダダには、時間の概念が難しい。見通しが持てない、待てない、止められない、そのことで、苛立ち、私たちとの暮らしの中で、ダダは「生活のしにくさ」を持っています。
 そこで、ダダが自閉症と診断された頃から、親しくさせていただいている「といくらふと」(http://homepage2.nifty.com/toycraft/)という障害者支援サークルの大西俊介さんから、ご自身が仕事上作っておられた「時間の経過が見える形でわかるタイマー」を「ぜひ、これを、使ってみて下さい」と薦められました。
 ある日、ダダが長い時間PCで絵を描いていたので、「お母さんに代わって」と言うと、ダダが自分からそのタイマーを持ってきて、「ライトタイマー、よーし!」とセットしました。
 何かを止めさせるような場面はなるべくさけ、ダダが得する経験のときにたくさん使うことで、少しずつ時間の感覚を身につけていきました。
 「ライトタイマー」は、ダダがこの世界で、頼りにし、とても大切にしているものの一つです。お留守番のとき、ケーキを焼くとき、そして、大好きなカメの手足が出てきて欲しいときにも、自分でセットしたりします(もちろん、カメの方はというと、ダダのいたずらが怖くて出てきません)。
 私たちと同じ時計が読めなければ、時間が計れない?そんなことはないはず。自閉症のダダにわかる方法で、楽な形で、この世界の仕組みがわかっていけばいい…。それが、「ライトタイマー」であり、「スケジュールボード」であり、「絵カード」でありするのです。それは、私たちが眼鏡や杖を使うことと同じことだと思っています。
 
 入学したときからダダを担任していただいていいる障害児学級のN先生のご理解もあって、昨年の冬、ダダの学年の子ども達全員に「自閉症のお話」をさせてもらいました。
 子どもというのは、大人が思うよりずっと柔軟です。ダダの障害を「違い」として理解し、「自分たちにもできること」を考えて接してくれるようになりました。子ども達の雰囲気は、そのまま学校の雰囲気になっています。
 
 ダダは、今年の一学期、自立登下校ができるようになりました。一人で歩く楽しさと、電車が大好きなダダは、時折、勝手に学校を出て、近くの駅まで行ってしまうことが続きました。
 そこで、先生と一緒になって考えたのは、「ひとり駅」です。「<一人で駅に行って、帰って来る>にチャレンジしてみましょう」…一人で出かけられる日を設定することで、それ以外には、勝手に飛び出さない約束にしました。
 駅員さんに、ダダが改札まできたら「学校へ帰ります」というカードを見せてもらうように協力してもらいました。『レイルマン』も献本。
ダダ画伯の電車の絵
 一回目、力ずくで改札をすり抜けようとします。二回目、改札で交渉、しぶしぶ帰っていきました。三回目、改札までいかないで、しばらく電車を眺め、帰っていきました。その後その取り組みは、運転手さん、駅員さんに見守られながら「ひとり電車」となって、一つ先の駅から切符を買って乗って、改札をでて学校へ戻る。二つ先の駅から…というように、帰ってくるスキルを学ぶことに発展しています。
 そんな中には、帰り道の途中にあるホテルのカフェに入って、バイキングの「杏仁豆腐」を食べたりするハプニングもありました。
 ウエイトレスさんと並んで、学校へ戻ってきたダダ。話を聞くと「堂々として入ってこられたので、親御さんが一緒かと思ったけれど、どうも変なので、近づくと『美味しいねえ』と言われました。でも名前を聞いて『学校へ帰ろうね』と言うと、ちゃんとついてきてくれました」
 もちろん、すぐに「保護・援助して下さい」というチラシと一緒に、お礼とお詫びに行くことになります。でもそれは、実はダダを知ってもらうチャンス、地域の人たちに、自閉症のことを理解してもらう良い機会。ダダのことを知ってくれる人が街に、また一人増えたわけです。
 
 家庭から、学校へ、そして地域へ…。
mompfm02-dada200207.jpg (5k)
「制作中のダダ画伯近影」
2002年7月
 このところ「全徘連(全国徘徊愛好者連合会)会長」と言われているダダは、行動範囲が広くなった分、その姿を気にする人の数が増えるいっぽうです。学校に電話が入ると、教頭先生や他の学年の先生が、駆けつけて下さったりしています。
 そんな風に、驚くようなことがいっぱいあっても、否定せずに、ダダの希望との「妥協点」を見つけながら、毎日の生活をしています。
 ダダはけして良い子ではありません。「あれが欲しい」「これがしたい」…たくさんの要求と「そんなんイヤや」「自分でするわ」…様々な拒否をしっかり態度で表してくれる、いわば「ダダっ子」です。そして、年齢相応のプライドもあります。
 でも、それは子どもであれば「普通」のこと。 私たちが「普通」を意識するのは、普通の人と同じように生活ができるようになることではなく、障害があっても「自分で選択し」 「自分で行動し」そして「自分で責任をとること」が「普通」に保証されることです。
 
 現在のダダとの暮らしは、特別なことをしているという感じはありません。ダダと私たちの考え方感じ方が、違うのであれば、苦手なことが多いのであれば、「上手な付き合い方」を見つけていこう。それがダダ家の場合「視覚的」「具体的」「肯定的」な暮らしをすることです。
 その暮らしを周りの人に伝えることで、自閉症のことを理解する「点」が増えていって、たくさんの人が、違和感なく支援してくださるようになれば、大人になったとき、ダダは本名で、そのままの姿で地域で働き、生活をしていけるでしょう。
 文字通り「ただあるがままに…」
 そして、私もダダ母ではなく本名で生きることと思っています。
 
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