回想シリーズ(3) ダダ多動の時期 

 多動という言葉を知らない私は、どうしてダダがピューとどこへでも行ってしまうのかわかりませんでした。

 公園、スーパー、子育てセンターでの集まり、運動会、お祭り…とにかく外にでたら走る走る。元へ戻ってくることはありませんから、私は追っかけるか引き留めるためにおんぶをしていました。

 村のお花見では、ゴザの間をクルクルまわり、ついには山を下りてしまう始末。「あの子の守だけは、かなわんなあ」村人のささやき声が聞こえました。

 その頃の写真は、ほとんどおんぶをしているか、私がダダの手や、服を引っ張っている(ダダは、そっぽを向いている…)ものしかありません。

 散歩に行くと、前進あるのみ。後退は許されません。
 「イキハヨイヨイ、カエリハコワイ」とはこの事で、うずくまってかんしゃくを起こされないように、家から出て、同じ道を通らずに一周して家に戻るコースを生み出さねばなりませんでした。

 ある時には、2km以上あるスーパーまで歩き、帰りはてこでも動かないために、近くにすむ友人に車を出してもらったりしました。

 しかも、センターラインやサイドラインが気になるらしく、歩道をいやがり道の真ん中にでようとしました。バギーに乗ったときも同様で、同じ道を戻るのを嫌がりました。

 同居しているダダ祖母が、バギーに乗せて散歩に行くときも、途中でそりかえって、バギーをおりてしまうので、なかなかダダの世話を頼みにくくなってしまいました。

 「お兄ちゃんとの散歩は楽しかったけど、ダダはタンポポを持たせても食べてしまうし、なんだか下の方ばかり見ているのよ。変ねえ…」。
 ダダ祖母の言うとおり、ダダは車輪の回転を見ているようでした。

 

 多動で最も困ったことは、知らないうちに道路にでてしまう事でした。

 ある日私は、里の母と幹線道路沿いの洋品店に行きました。実の母と一緒という気安さから、ちょっとした隙にダダの姿を見失いました。ダダはどこ?母と声を掛け合ったとき、「キー」という車の大きな音が聞こえました。

 すぐに表にでてみると、そこには、大きなトラックの前で、ニコニコしているダダの姿がありました。
 幸いトラックは止まりダダは無事でした。しかし後ろからきた乗用車が、トラックに追突しました。私は、ダダを抱きしめ、ただただ謝り続けました。

 とっさのことで、謝るほかには、何もできませんでした。乗用車には、若い女性が乗っていましたが、トラックの運転手と話が付いたのか、数枚の一万円札を渡していました。

 誰も私とダダに声をかけませんでしたが、悪いのはダダであり、一番悪いのは私だということは、はっきりわかっていました。
 その自己嫌悪は長い間消えませんでした。
 けれども、それよりも何よりも、ダダがよく轢かれなかったと、今思い出しても青くなります。

 この事があってから、ますますダダとの外出がしんどくなってしまいました。多動が少し収まってきた今でも必ず手をしっかりと持ってしまいます。
 それがダダの成長を妨げているように思えてならないので、少しずつ距離を置くようにはしているのですが…。

 あの時の事が映像としてよみがえると、途端に私を臆病にしてしまいます。

 回想シリーズ(3) ダダ多動の時期 (1997.01.31 NIFTY UP) ダダ母 
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