| 回想シリーズ(6) | ダダとの遊び 3 記号編 |
2歳近くなると昼寝をなかなかしてくれなくなったので、もっぱら車で寝かしに走りました。
里の母が「そんなことせんかて、ねむとうなったらねるがな」と私の愚行を笑っていましたが、ダダがそう簡単な子ではないことは私が一番知っていました。
できるだけ刺激の少ない山あいのコースを選び、眠りにつく頃に田んぼの一本道でダメ押しするというのがお決まりのコース。
かといって無言で運転するのもと、「赤トンボ」「からすの子」「この道」などスローテンポの曲を、由紀さおりになって歌ったりしていました。それでも、必ず寝てくれるとは限らず、車から降ろしたとたん目が覚めたり、20分ほどで起きてしっまたりと徒労に終わることもありましたから、「こんなことしてなんになるんやろ・・・」と燃費の悪い国産車で走っていると、寝かしたい気持ちと時間もお金も無駄にしている想いとのジレンマに悩みました。
半年ほど続けた後、ばかばかしくなって止めました。
ダダがどうなったかというと、ただ昼寝をしない子になっただけでした。
ドライブをしていると、ダダが「ゴジュウ、ゴジュウ」と言うので、何を見ているのだろうと観察してみますと、道路標識を読んでいたのに気づきました。
記号好きのダダのこと「きっと好きやろな」と考え、マークの絵本を買ってあげました。思うつぼにはまったダダは踏切・非常口・シルバーシートなどスラスラ覚えてしまいました。
外にでるとマークを見つけては叫んでいましたが、私も教えた手前じゃけんにもできず、「せやせや、エレベーターや、あたり」など言って合わせたり、ダダがかんしゃくを起こしそうになると
「あっ、ゆびづめちゅういやて!」などと注意をむけてかわしたりしていました。そんなに解っているならと、家では道路マップ上に紙で作った標識をおいてミニカーを走らせようとしましたが、ダダはそういう事は嫌いで、ただ単に○のなかに50,60,70…120…180…と意味もなく並べるのが好きでした(ということは、意味を理解していたわけではなかったんですな…)。
お子さまランチの旗を集めていたら、ダダは今度はそこに目を付け、国旗に心を奪われたようでした。日本、アメリカ、イギリス、中国…有名どころはもちろん、キリバス、ガイアナ、ブルンジ…私もこの年になって初めて知った国々の国旗を覚えました(ここでも本やトランプを買ったりして、思いっきり助長している変な親です)。
朝から晩まで、ぶつぶつ国の名をつぶやいたり、カードを並べたりしていました。私も50本以上の小旗を作らされ、部屋の中が毎日運動会状態。
昔テレビで見た“天才!国旗少年”とか言って、見ただけで国名が解る子供がいましたが、まさかダダにもその才能があるなんて…。しばらく親ばかでホクホクしていました。昨夏のアトランタの時は、すでに国旗には興味はなくなっていたのですが、「復習や、復習」と、開会式、閉会式とも、再放送までしっかり楽しみました。(国旗がでてくるたび、ウロウロしているダダをテレビの前に連れてきて名前を言わす…体力のいる観賞でした。半分以上忘れてましたけど…)。
次は、日本地図。 たまたま兄貴のために買った「おぼえちゃおう・にほんちず」というビデオが家にありました。
それはそれは人物に躍動感がないというか、淡々としていて県名、県庁所在地、名産を繰り返すだけのもので、兄貴はいまいちと感じたんでしょう、一度見たらそれっきりになっていました。
しかしダダは、見事に気に入って本当によく見ました。地図のパズルもお手の物で、特に東北、関東、中部…とブロックごとに組み立てるのが好きでした。
絵柄のない面で完成させたときは、「おー、これがほんまの裏日本やなあ」と思わず感心しました。
今でも納豆を「イバラギケン」とか「ミト」とか言いながら食べています。日本地図の後は、世界地図。その後は時計,ABCと続きますが同じような遊び方なので略します。こういう趣味みたいなものが、3ヶ月交代でやってきました。
私は困惑しながらも、ダダがそれに没頭していると楽なものですから、結構こっちからのめり込ませていた部分もあります。
それに、その趣味を介してならダダと共通の遊びができましたし、「この旗どこのん?」「ウズベキスタン」と言うような、会話?もできましたので、思い出してみても、困ったことは私に絵を描かすことぐらいで(それが半端な量じゃない)、とても楽しい時間だったと感じています。それ以外にも、小さな○に切った色紙をどこまでも並べたり、段ボールの切れ端に色を塗ったものを並べたり、色とりどりの紐をつなげたりというような、私には無意味と思われる奇行にもたくさんつきあいました。
その時は、ダダが自閉症だとは知りませんでしたので、良いも悪いもこうするしかダダと楽しい時間を持てなかったのです。
しかし後から考えれば、ダダのこだわりを突きつめてしまったようで、わかってさえいれば、もっと対応の仕方があったろうに…と反省する気持ちにもなります。
ただ、好きなものを作り出してくれるという点では、私の力を頼りにしてくれるようになりました。ダダにとって、なくてはならない存在になってきた事は確かです。
ダダの好きなことだけをトコトンつきあったことは、それでダダに何が残り、何を失ったかわからないけれど…、もし自閉症だとわかっていたら、もっと別の接し方ができ、もっと成長していたかもしれないけれど…。
今となっては、あれはあれで良かったのだと思っています。
| 回想シリーズ(6) ダダとの遊び 3 記号編 | (1997.02.14 NIFTY UP) ダダ母 |
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