回想シリーズ(9) ダダ自閉症の診断まで 

 その頃読んだ二冊の本が、私が心の準備をする上で力になってくれたように思います。

 一つは、前述したことのある”恢復する家族”大江健三郎。もう一冊は”犠牲・サクリファイスわが息子・脳死の11日”柳田邦男です。

 どちらも評判になった本ですので、お読みになった方もいらっしゃると思います。
 これらの本から私は、子供を育てていく長い道のりと、どのような状況になろうとも子供に対する真摯な姿勢を学びました。

 いつの間にか自然にダダの状態を受け入れる心構えが私に育っていました。
 将来に対する不安は絶えずありますが、目の前のダダは私達の家族である限り、一緒に楽しく生きていこう、ダダの力を信じようと思い始めていました。                   

 

 再検査がすんで、すぐに、ことばの教室へ申し込みしました。
 なんとかお願いし、秋から月2回通えるようになりましたが、この時ほど、行政の動きが遅く感じられたことはありませんでした。

 ことばの教室では、初めはダダも(私も)、何がなんだか、よくわからない状態でしたが、少しずつ場所にも慣れ、パズルをしたり、色を選んだり、机上のセラピーが可能になってきました。 
 トランポリンやボールのプールといった、ダダの好き遊具もあって、その中で遊びながら、STの先生からいろんなことを教わりました。

 何度も繰り返して遊びたい時に、「もう一回」や「手伝って」のサインが出るのをゆっくり待つこと、「きてー」といった発語をこちらから促すこと…。
 それまでのダダとの遊びは、私のテンポで、ただやみくもに関わったり、好き放題させていたということが、とてもよくわかり反省しました。

 

 しばらく通ったある日(そのころはまだ障害に対する本を読むところまで言っていなかったのですが)、たまたま兄貴の出産の時に買っていた「はじめての赤ちゃん」という育児書を見ました。

 兄貴の時は毎月のように眺めて、成長を確認したその本も、ダダが「はじめての赤ちゃん」ではなかったことで、一度も開いたことはありませんでした。

 その言葉の遅い子供のページを見たときです。そこにはダダの奇行(言葉の遅れ、多動、こだわり、記号への興味等々)のすべてが書かれていました。

 「…こういう特徴を持った子ども…、『自閉症』といいます…」
…誰も教えてくれなかったけど、ダダは自閉症だったんだ。

 すぐに、ことばの教室のSTの先生に尋ねましたが、自分には診断する資格がないということで、はっきりとは答えていただけませんでした。
 しかし、その時、自閉症について数種類のコピーをいただき、それをきっかけに私たちも勉強しようと思い始めました。

 保育所への入所の相談もあって、児童相談所の心理士の先生にアポイントを取り、もう一度お会いすることにしました。

 そこで、自閉症のことを尋ねると、はっきりと「そうでしょう」と言われました。
 「家庭でもできることはありますか?」と聞くと、認知面へのアプローチをする教材集をコピーして下さいました。

 

 もうわかってはいましたが、やはりこの耳でききたかった。席を立つ前に、思い切って言葉にしてみました。

「治りますか…?」
「風邪のようには治りません。…でも、改善はできます。」

 帰り道、通い慣れた峠のカーブが、涙で曇ってよく見えず怖かったのを覚えています。 

 

 コピーをもらったとはいえ、すぐに何か取りかかる気持ちにはなりませんでした。
 でも、自閉症について、なんでもいいから知りたいと思い、近隣の図書館や書店で、「自閉症」と名がつく本を探しては読みました。

 再び呼ばれた別の先生の発達相談で、抱っこなど、情緒的な繋がりをもっとすべきだと言われたので、そういう内容の本を取り寄せて読みました。
 でも、読んでみても、どうも違うように思いました。

 「テレビやビデオを見せないように…」という内容の本も読みましたが、ダダの様子と、今までの育ちを見ても、なんだか納得できませんでした。

 予後の悪い本を読んでは絶望的な気持ちになり、予後の良い本だけを何度も読んだりして、しばらく不安定な混沌とした状態が続きました。
 「障害」ということに真っ向から向き合ったのは、私にとって、このときが生まれてはじめてでした。それは、今までの自分の価値観を転換させる作業でもありました。

 

 けれども、いたずらに時間だけが経っていくことも不安でした。
 それで、STの先生に教えていただきながら、いただいたコピーから、ダダの好きそうな色や、キャラクターを使った教材を作り、少しずつしてみることにしました。1日5分から、少しずつ…。

 ジッとすることはキライだけれど、並べたり、マークを読んだりすることが好きなダダは、次第に、私の出してくるものを、意味のあるものとして、楽しんでくれるようになりました。

 親の関わりが変わってくると、その影響は、必ず子供に表れるのでしょう。
 とくに、自閉症と意識して取り組んでからは、ダダとの距離は縮まったような気がします。
 はじめて「おかあさん」と呼んでくれたのもこの頃です。
 今までクレーンでしか要求しなかったことも、「ジュース」と言葉で言えるようになりました。

 そして、子供が変わって来ると、親の意識にも影響が表れます。
 ダダが、私の不安定な気持ちと混沌とした状態を、少しずつ軌道修正してくれたのでした。

 

 数ヶ月後、児相相談所の紹介書を持って、月に一度、地元の公立病院の発達外来に来られる小児科のお医者さんに会いに行きました。
 そして、正式に「自閉症」と診断を受けました。

 ダダ3歳9ヶ月の時です。

 我流とはいえ、療育をはじめていたので、その方向性が間違っていないと言っていただいたこともあって、私もダダ父も「自閉症」という診断に、心底、ホッとしました。 

 これで、ダダを理解できる。
 「自閉症の世界」をもっと知りたい。

 やっと、ダダの世界にたどり着ける…と思いました。

 
 これで、最終回です。

たった6年前のことですが、今(2001年)とは違う私がそこにいます。
ダダが生まれてから診断に至るまでの私とそのことを1年後にまとめている私です。

そして、自閉症を「文化」とらえるまでに、障害とは「上手に付き合うもの」とわかるまでには、さらに数年かかっています。

けれども、今こうしてダダと暮らす私は、あの頃を経てあるのだなあ…とやはり思うのです。

長々と、昔話にお付き合い下さり、ありがとうございました。

 回想シリーズ(9) ダダ自閉症の診断まで (1997.03.04 NIFTY UP + α) ダダ母 
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